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集落の謎 5(最終)

信玄も通った古道はどうやら先程の林道から出た突き当りを左に行って長知沢を通るルート(赤丸)なのかもしれない。

このルートは以前通った事が有り、舗装林道なので仙洞田へ戻り、他の林道へ行く事にする。

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仙洞田を抜け、赤石高下林道を使い赤石温泉を目指す事にする。


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長々と舗装林道を走り、戸川沿いにある赤石温泉が見えて来た

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☆①ポイント 右が赤石高下林道、折り返すようにダート林道がある。

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戸川渓流の右岸沿いを走る、
見通しは効かない、ガードレールは無くやや荒れの区間も有る。

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戸川渓流を渡り左岸側を下る

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☆②ポイント 忍沢養殖場近く上七尾橋を渡ると林道がある
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上七尾道路とある
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上七尾集落です。

今回通過した時には気が付かなかったが、離郷之碑があり、その石碑には、この上七尾の地で天文元年1532年より446年間にわたり居住されてきた第15代当主が1928年亡くなり、増穂町長澤へ移住、昭和54年にこの碑建立、と記されているそうです。

歴史ある集落がまたひとつ幕を閉じたんですね。

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全ての物には歴史があり、書物、石碑、言い伝えなど何かしら残さないと、そこで生きていた証でさえ自然に飲み込まれ消えていくんだなと改めて思うことが出来た、そんなツーリングでした。







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集落の謎 4
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集落の謎  4


の時おじさんは教えてくれた、

あの山の少し平らになっている所があるだろう、と目の前の山を指さした。


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う~ん、どこですか?

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あの山の少し下、と再度指さしてくれた

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あそこはもう廃村になってしまったが「狩宿」という集落があるんだよ、今は産廃のリサイクル工場が一軒だけあるんだけど、名の通り、源氏のお殿様が狩りをする時に泊まった集落なんだ。

『狩宿』・・・知っている、以前、廃村を訪ねてで来た事がある。

<その時の記事 またかい?廃村2 その3(最終)

以前訪れた時には、廃村と廃寺を見て随分古い墓石が有り、ここの集落はいつからあったのか?と思ったが、ようやく判った。


狩宿は仙洞田のすぐ先、おじさんは言った、あそこは信玄も通った古道があるんだよ・・・。

どこなんだろう!さっそく探りに行こう。


狩宿集落
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7~800mで舗装路に突き当たる、左に曲がると長知沢という集落を通り52号へ出る、ここは以前行ったので右に行ってみる。

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舗装はされているが最近は車が通っていない感じ

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5~600mで広場に出た

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吹上天神杜と看板に書かれている

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地図に載っていない神社があるようだ。

急坂の道だが、これは参道だろう。バイクで上がる訳にはいかないので歩いて登ってみた。

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歩きにくいオフブーツでは無くハーフブーツとは言え、やはりきつい!日頃の運動不足が祟る・・・祟りか(^^;

狛犬ならぬ牛像だ!

なぜ牛なのだろう?

帰ってからググってみたら、天神さまの場合は牛像だそうです。

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本殿は看板に書かれているようにもう直ぐ崩れて谷底に落ちそうだった。

由来など表示されているものも無く何も判らない。

どんな由来が有ってこんな山奥にあるのだろうか?

折角ここまで登って来たので賽銭箱に小銭を入れ今日の安全を願掛けしてみた。

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帰ってから調べてみると「山梨県神社庁」というサイトにありました。

■御祭神: 菅原道真公
■例祭日: 四月二十五日
■由緒沿革:
 創建年月不詳ながら、「天神宮鳥居村、社地参拾坪、北方西郡筋高下界ノ山上ニ在リ吹上天神ト称シテ登拝ノ者多シ、三月二十五日ニ祭ル」甲斐国志による。



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さて、林道に行ってみよう。

続く


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集落の謎 3

部次郎重清は浅黄姫と共に土地を大いに開拓して賜った苗字「仙洞」に田を加え仙洞田次郎重清と更め、

里の人々と共に額に汗をかき田舎暮らしなれど幸せに暮らしたとさ、めでたしめだたし。。。ではなかった!



賜暇を得て甲斐の閑地を尋て康正年間中高下邑に至る。>
※賜暇を得て し‐か【賜暇】官吏が願い出て休暇を許可されること。

<重清は応仁の乱の兆候に伴い再び京に向ったが、長引く戦乱に音信が途絶えたという>

風雲急を告げる、重清は旅立ち、そして行方が判らなくなる、

仙洞田での幸せな時間はどの位のものだったのだろうか、残された浅黄姫は。。。

こんな伝説が残っている
この部落で生活することになったが、農家の仕事がわからず、ある日、麦を臼でつけどもつけども麦の皮がむけず、
悲しみのあまり涙を流したという。ところが、その涙がついていた麦にこぼれ、麦をつくことができた。
麦つきには水を入れることを知らなかったという。


親切な里の人々は居なかったのか?

京から来た姫様を高貴なお方と遠巻きから眺めてるだけで村八部だったのか?

小さいながらも幸せな田舎暮らし。。。この時代にそのような戯言はあり得ないのでしょうかね。


Wikipediaの続きです
戦乱を呪い僻土を憂いた浅黄姫は近くの淵に身を投げて川下で侍女も後を追った。その後この辺りを通行する者に必ず、溺死、病災等の異変があり里人は恐れて本山六世日顕に乞い、その霊を姫宮大明神と呼んで村の鎮守とした。後、諏訪大明神と名前を変える。それぞれの淵の傍には姫と侍女の墓碑がある。重清と浅黄の墓碑は同町内の延寿寺にあり、延寿寺は姫の菩提を弔う為に重清が建てたと伝わり一族の墓がある。


里人は祟りに恐れおののき、浅黄姫の嫌いな鶏も飼わなくなったのだろうと推測されます。。。



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村の端に鳥居が見える

人の家の庭先に行くのかな?と思うような道を進むと辿り着いた



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説明文
◆県指定文化財 鰐口(工芸)
 貞和5(1349)年12月22日□正河 杣保黒沢観音堂鰐口と いう銘文が入っている。昭和35年県指定文化財に指定。
 倉沢川は、高下地域網掛山の南に位置し、往時は村人の生 活の古道が通り、川の岸上に観音堂の跡地がある。
 昔、幾多の災害のため流出したが、諏訪神社のあたりで発見 され、現在諏訪神社の宝物として伝えられている。

【諏訪神社】
 姫宮神社として地域の人々に昔から親しまれている氏神。本 殿には、伊豆松崎の名工である小沢半兵衛の彫刻が施され、 文化的価値が高い。
 仙洞田の地名の起こりとなった伝説があり、浅黄姫を祀って ある。境内には、道祖神も祀ってある。



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道祖神もある、この神社の横には倉沢川が流れている、この川の淵で身を投げたのだろう。

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姫宮神社から川沿いに道が続いている、昔の人達は祟りを怖れながらここを歩いたのか。

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当然行ってみた、


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やっぱり行止りだった。


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て、仙洞田を後にして次へ進みます。

集落の端から未舗装になり狩宿地区に向かうが、少し行くと右手に林道仙洞田線がある。

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ここは入った事が無い、とうぜん行ってみる。

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行き成り丸太が・・・これは潜り越えられた。

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う~ん丸太が!倒木の出会いも無さそうなので、ここは残念だが諦めよう・・・本心は、戻れて良かった♪


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戻ります。

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まだまだ続く



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集落の謎 2

の中腹に見える平林集落へ向かうべく富士川大橋で笛吹川を渡り、山へ向かってまっしぐら・・・と思ったが、

急にふと、6/27に家族で来たあじさい寺が見たくなり、52号を左折した。

その時の記事「あじさい祭り」

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妙法寺(みょうほうじ)は、山梨県南巨摩郡富士川町小室3063番地にある日蓮宗の本山(由緒寺院)
1300年の由緒ある山寺で、戦国時代の永禄年間には甲斐国守護武田氏より寺領が寄進され、諸役免除も得ている。武田氏滅亡後に甲斐国を領した織田・徳川氏や豊臣系大名からも禁制を受けており、寺領も安堵されている。江戸時代には歴代将軍から朱印状を得ている。(Wikipediaより)

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6/27のあじさい祭りの時は人が多かったですが、今日は一人もいません、境内前の通りにも誰一人居ません、というか集落で人を見かけたかな?居たのか居なかったのか。。。

静かな時が流れます。

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妙法寺の山門の前で小休止したあと、いよいよ仙洞田に向かいます。


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仙洞田集落は外界から隠れるようにトンネルの先にひっそりとある。

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トンネルを過ぎ坂を下ると集落が見えて来る

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山間の間に田畑と集落がコンパクトにまとまり家々は寄り添うように建っている。

集落のメイン通りがこの道幅なのだ。


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Wikipediaより
南部 重清(なんぶ しげきよ)は、室町時代後期の甲斐南部氏の武将で北面武士。甲斐の高下村で隠居後、仙洞田氏を興す。

生涯
山梨県南部町の諏訪明神社に所蔵する南部氏系図によれば、重清は南部為重の曾孫に当たり、同神社を嘉吉3年(1443年)に造営した南部元時とは又従兄弟の関係にある。この元時の系統は戦国時代に武田氏に圧迫されて河西氏を名乗っている。 北面武士に列していた重清は、応仁の乱の兆候に伴い再び京に向ったが、長引く戦乱に音信が途絶えたという。
伝記
山梨県南巨摩郡増穂町(現在の富士川町)に伝わる伝記によれば。南部次郎重清は、後花園天皇の時代に上洛して北面武士にあり、天皇に重用され苗字と籠姫、浅黄ノ御前を賜り賜暇を得て甲斐の閑地を尋て康正年間中高下邑に至る。幸い妙楽寺無住にして堂破損と聞き里人に此処を假居とした。土地を大いに開拓して賜った苗字「仙洞」に田を加え仙洞田次郎重清と更める。後に地名となり今に仙洞田という。


南部次郎重清は天皇に重用され、苗字と籠姫、浅黄ノ御前を賜り賜暇を得て甲斐の閑地を尋て康正年間中高下邑に至る。

とある、そう、ここで天皇から授かった仙洞という苗字と浅黄ノ御前と共に暮らし始めたのである。

おじさんから聞いた話では、浅黄ノ御前(浅黄姫)は鶏が嫌いで、村人達は浅黄姫に遠慮して鶏を飼わなくなり卵を食べなくなったという。

食べると祟りがあると怖れられたという、その言い伝えが続いていたのでした。


この集落には祟りがあったのだ。。。続きは次回で。



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集落の謎 1

の集落の話を聞いたのは6/20ソロツーの時でした。 【その時の記事 夜景3



村の名の由来・・・以前に道志村を記事にした事がありましたが、今回はその方に偶然お会いし、お話する中で伺う事が出来た村の名の由来でした。


以前(2014/3/20)の記事にした 「村の名の由来」


前回の記事は道志村ですが、今回は仙洞田という場所です。


そのご主人は、ご先祖様が甲斐源氏から続く家系の持ち主で、代々続く多くの山や畑で農業を営んでおられるそうです。

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<ご主人の話>
の集落まで上がってくる途中の左手にトンネルが有りましたでしょ、そのトンネルを過ぎた先に仙洞田という集落があるんです。

その集落出身の○○君と私は同じ小学校に通っていたのですが、

その○○君、昼食弁当の時間に私の弁当のおかずをジーっと見るんですよ。

何をそんなに見ているんだい?と聞くと、私の玉子焼きを指さし、彼は生まれてこの方タマゴを食べた事ないと言うんです。

玉子焼きをあげると美味い美味いと喜んで食べました。

確かに当時の卵は高級品で、病院のお見舞いに持って行くほどの高価で栄養のある物だったんですけど、

我々農家の者にとっては鶏を飼っているので一般の人よりは卵は手に入り易いものでした。

彼も農家の子だから手に入るものだと思ったのですがね。。。

何故食べたこと無いのかと聞くと、その集落には言い伝えが残っており、当時はその言い伝えが守られていたんです。

その集落の始まりは室町時代に遡るんですよ。。。。



卵を食べない村人、謎が深まる歴史ある集落、そこには悲しい姫にまつわる伝説が言い伝えられていた。




仙洞田という集落は以前訪れた事がある、 またかい?廃村2 3話目 

その集落をもう一度訪れたいのでソロって来ました、当然林道も走りますよ♪



央道で相模原愛川ICから高速移動しようと思いICまで行ったが、相模湖まで渋滞12kmと表示されている!

ここから乗るのは諦め、相模湖ICか上野原ICから乗る事にして、志田峠を越えて行く事にする。

久しぶりの志田峠入口、三増古戦場跡
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真新しい黄色い残土埋立反対!の看板が目立ちますね

埋立地の建設が迫っているのでしょうか。


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あら!9/1から通行止めになっていたよ。。。1年間は走れないそうだ(T_T)

ここで素直に戻るが、30分違いで momo太のテツ が来たそうだ、ちょっとの違いだったなぁ、会えれば一緒にツー行ったのに。



まずは道志街道まで行き、牧馬峠を越え中央高速上野原ICを目指す


宮ケ瀬湖から流れ出る中津川では太公望達が最後の夏を惜しむよう鮎釣りを楽しんでいる。

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橋の上から道志川をのぞき込むとここにも鮎釣りを楽しむ太公望達がいる

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上野原ICまで数キロで来たが、なに!通行止だとぉ!

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幸いな事にバイクなら通過出来た


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高速に乗る


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40分程の高速移動のあと、笛吹川を渡る富士川大橋にやって来ました。

南アルプスの麓、山の中腹に平林地区が見えます、ちょっと古いデータですが、人口は平成19年3月1日現在307名、世帯数は126戸だそうです。

そちらに向かいます


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続く




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プロフィール

中性脂肪600のクマ

Author:中性脂肪600のクマ
中性脂肪600のクマです、「クマ」とお呼び下さい

以前の名前は「中性脂肪600」でしたが、オフ会で名前が呼びづらいので「クマ」に変更しました。

2016年3月より30thセロー250にWR250Rから乗り換えました。
林道ツーリングやキャンプツーリングの記録を更新したいと思っています。

ブログ名は、検査したら中性脂肪が600mg/dLだったので。
最近検査したら150mg/dLに落ちていました(^^)/

リンクフリーです。
よろしくお願いします。

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